裸婦修作(F100号(162×130cm)1997年)
自分の作品の方向性が伸び悩む頃、ひたすら人体裸婦に打ち込んでおり何とかきっかけと掴んだ所である、「画面に広がりがない」と先生方に指摘されたが、表現こそは荒々しいが、中心の人体と背景が同時に見えるようになり空間性を感じ画面が落ち着いてきた。
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